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林修先生が解説する本能寺の変!知られざる真実とは!?

歴史 この記事は約 6 分で読めます。 2,175 Views

本能寺の変は誰しもが一度は耳にしたことがある歴史上の出来事。

有名な事件ですよね。

2017年1月からこの『本能寺の変』をモチーフにした映画、『本能寺ホテル』も公開され話題になっています。
 
 

織田信長が家臣である明智光秀の謀反によって討たれるという戦国時代最大の事件が本能寺の変です。

織田信長は明智光秀引きいる軍勢に滞在していた本能寺で急襲され、最終的に自害をしたというのが定説です!
 
 

この誰もが信じている本能寺の変について、林修先生は
「豊臣秀吉が作り上げた捏造だった!」
と明智光秀の子孫にあたる明智憲三郎氏が主張するとの新説を紹介します。
 
 

「当時は裏切ったり、裏切られたりは日常茶飯事」
そのため、歴史というのは権力を握った者が自分の都合のいいように書き換えるものです。
 
 

ただ、本能寺の変が日本歴史上最大のミステリーとなっているのは、
明智光秀が信長に対して謀反を起こした理由が結局はっきりと分かっていないから。
 
 

そして様々な諸説が広がっていきます。

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本能寺の変の知られざる真実とは

そもそも本能寺の変においての明智光秀の謀反説の原本となったものは、江戸時代になって書かれた「軍記物」です。
そして、この「軍記物」のネタ元は秀吉が書かせたPR誌だったのです。
 
 

そのPR誌に書かれている内容というものが、本能寺の変が起きた当時の文献や、日本に来ていた宣教師が母国で残した記録と合致していないことが既に判明しています。
 
 

信長が実は中国制圧を考えていたことがイエズス会の宣教師が書き残した文献に記されているし、
家康が謀叛の共犯者だったということも、イスパニア商人が書き残した文献には記述があるといいます。

明智光秀謀反の定説は、時の権力者である秀吉が、自分に都合の良いストーリーを組み立て、それに合わせてさまざまな文献の書き換えも行われ、利害が一致した家康もそのストーリーに乗り、後の時代に尾ひれがついて出来上がったものと考えられる。
 
 

そして後世の学者も、なぜかそこへ乗ってしまったというのです。

 
 

本能寺と二条城が失火し、信長とその息子が離れた場所に滞在しながら同時に火事で亡くなるという信じ難いことが起きます。

明智光秀はその時は桂川の近くにいて急いで駆けつけるも、すでにどうすることも出来なかった。
 
 

だが、京の野次馬達が明智の謀反だと囃し立て瞬く間にその噂は広がっていく。
 
 

あわてた光秀は親戚や親しい友人たちに謀反ではないことを伝えるも、面倒なことに関わりたくない者たちは光秀を無視する。
 
 
そして、光秀は秀吉に手紙を書くが、この野生サルにとってはそんなことはどうでもいいことだった。

胸の中に「天下取り」の野望を秘めながら、「主君の仇討ち」と言う名目のもと中国路を駆け抜けた。
 
 

明智光秀は濡れ衣をかけられ、そして「世論」に殺された……。

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明智光秀の謀反説は覆せない

明智光秀の子孫が書いた『本能寺の変431年目の真実』が27万部を突破する驚異的な売れ行きを見せています。

この本を読んだ多くの人にとって「すとんと腹に落ちる」類推であるが故、長期間にわたって驚異的な売り上げを記録しているものと思われます。
 
 

だが、それでも世間一般の認識を変えるには至っていまえせん。

 
 
明智光秀の末裔による研究成果と評価といったものにバイアスがかかるのもあるのですが、そもそも、NHK大河ドラマのスリコミ効果が絶大だったのでしょう。
 
 

明智光秀による謀反が定説として徹底的にスリこんだのは
『新書太閤記』(吉川英治)
『国盗り物語』(司馬遼太郎)

の2作品を原作として制作されNHKの大河ドラマでした
 
 

当時の大河ドラマの
『太閤記』は平均31%、最高39%、
『国盗り物語』は平均22%、最高29%

といった絶大の人気を博し高視聴率を獲得していたのだから当然でしょう。
 
 
もともと歴史作家や劇場台本作家は受け手の人気を得るために面白おかしく歪曲することは、
忠臣蔵など含め他にも多くの事例はあります。
 
 

視聴者は大河のストーリーこそが歴史的に正しい事実だと思い込むため定説が固まってしまします。
 
 

とはいえ、大河はそれなりの肩書の人が時代考証に就いて制作されているので、歴史小説の第一人者となります。
架空人物が登場したとしても学説上の定説からそんなには大きく逸脱することはありません。

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明智光秀は冤罪として祀る御霊神社

京都府福知山市には明智光秀を慕い、冤罪者として祀っている不思議な神社が存在します!

京都の福知山市の「御霊神社」といいます。

御霊神社という名の神社は全国に多数存在し、怨みや非業の死を遂げた人間や怨霊を鎮めるために創建されていますが、
福知山の御霊神社も城主が朽木氏となった時代に明智光秀を冤罪で非業の死を遂げた御霊として祀りました。

明智光秀は、治めていたこの地に堤防を築いたり、免税をするなど善政を行っていたため多くの人に現在も慕われているそうです!

御霊神社境内には「免税と決めて光秀名を残し」という文字が刻まれた石碑が立っています。

この文字の通り、丹波国を与えられた光秀は内政に力を入れて、民から免税したり、河川の氾濫を防ぐために「明智藪」と呼ばれる堤防などの善政に努めたことから民に慕われている領主だったそうです!
 
 
このように善政に努めた光秀でしたが、本能寺の変の11日後には豊臣秀吉に討たれたれ「三日天下」と呼ばれる汚名を残したままこの世を去りました。
 
 
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