1. TOP
  2. 高橋尚子はナゼQちゃんと呼ばれる?人生を変えた小出監督の言葉とは?

高橋尚子はナゼQちゃんと呼ばれる?人生を変えた小出監督の言葉とは?

スポーツ この記事は約 9 分で読めます。 1,089 Views

シドニー五輪で金メダルを獲得し、女子マラソンの元世界記録保持者で女子スポーツ界で初の国民栄誉賞を受賞するなど世界的にも名前を知られる高橋尚子さん。
 
 
そんな高橋尚子さんも大阪学院大学時代は1500メートルと3000メートルが専門のトラック選手で、決して目立つ選手ではありませんでした。
 
 
1995年、名伯楽と言われた小出義雄監督率いるリクルートに入部。
 
 
1997年1月、初マラソンとなる大阪国際女子マラソンで7位(2時間31分32秒)。

同年、小出監督とともに積水化学に移籍。

1998年3月の名古屋国際女子マラソンで2時間25分48秒の日本最高記録(当時)で優勝。

 
 
順当にスターへの道を駆け上がってきたかに見える高橋尚子さん。

今回はそんな高橋尚子さんのマラソン人生について調べてみました。

Sponsored Links

高橋尚子さんのプロフィール

【名前】:高橋尚子 (たかはし・なおこ)

【生年月日】:1972年5月6日
【出身】:岐阜県岐阜市
【高校】:県立岐阜商業高校
【大学】:大阪学院大学
【現役引退】:2008年10月
スポーツキャスター
マラソン解説者
日本陸上競技連盟理事
日本オリンピック委員会理事
大阪学院大学特任教授

Qちゃんの名前の由来

高橋尚子さんの「尚」という文字をよく見ると『オバケのQ太郎』に見えてくるというのが由来のようです。

「尚」という字は毛が三本に大きな唇

なんとなく『オバケのQ太郎』に見えてきませんか?

 
 
といった噂がありましたが、どうやらこれはただのネタだったようですね(;^ω^)
 
 
本当の由来は、高橋尚子さんが最初に就職した会社リクルートで『オバケのQ太郎』のモノマネを
披露したことから「Qちゃん」と呼ばれるようになったそうです。

実はとっても単純な理由だったんですね。

単純すぎてビックリしてしまうほどですwww

Sponsored Links

高橋尚子さん子ども時代

高橋尚子さんが小学校の頃は、走ることは好きでしたが、走ることを生活の中心には置いていた訳ではありませんませんでした。

陸上の大会に出る機会もほとんどなかったので、中学で陸上部に入って時には何とかして強くなりたいのに、その方法が分からなくて悩むことが多かったようです。
 
 
そんな高橋尚子さんですが学生時代は決して目立つ選手ではありませんでした。

ところが、どこかで陸上をあきらめようという気持ちになったかと言えば、やめたいと思ったことは 「それはなかったですね。」と仰っていました。
 
 

でも、ご両親は、『いつまで遊んでいるんだ』と、
やめろやめろと言ってたそうです!!
 
 
それに高橋尚子さんは対抗心を燃やしたというか、結果を出して親に分かってもらおうと思ったそうです。
 
 

一生懸命やることはすばらしいんだ、友達と力を合わせることはすばらしいんだ、それを分かってくれたらいいなという気持ちがすごくありました。

「もちろん、もっと速くなりたいという気持ちはありましたが、それと同時に、両親に『続けることはこんなにすばらしいんだよ』と伝えたかったことも大きいと思います。

結果が出ないならやめるというなら、とうの昔にやめていたと思います。

結果というのも、どこでラインを引くかです。

全国大会を考えたら全然結果は出せていないのですが、市や県のレベルで入賞することを目標にすると、それなりに夢を持てたんです。

あまり高望みせず、かなえられる夢を身近にたくさん持っていたことが大きいと思います。

大きな花は咲いていないけど、小さな花をたくさん咲かせては喜んでいた時代かな、あの時代は」

引用:高橋尚子さんのお話しより

高橋尚子さんが陸上部に入ったきっかけ

高橋尚子さんが陸上部に入ろうと思ったきっかけはすごく単純な理由からでした(笑)。

本当はバスケ部に興味があったのですが、悩みながら陸上部に仮入部します。

そこで、すごくビックリしたことが三つあって

・針金みたいな細いピンがついたスパイクを履いているのを見て『すごい! 刺さりそう』と思ったこと。
・スタートの仕方がスタンディングからクラウチングになって、スタートブロックを初めて見たこと。
・鉄砲のような『雷管』を使ってスタート練習をしていたこと

この3つ目が一番大きなポイントだったそうで、鉄砲なんて刑事ドラマでしか見たことがなく
『かっこいいなあ』新しいことがたくさんできそうだなあと感じて入りたいと思ったそうです(笑)
 
 

Sponsored Links

高橋尚子さんがもっとも辛かった出来事

「1999年の、セビリアでの世界陸上」だと言い、次のように語っています。
 
 

「練習で足が痛くなったにも関わらず、ずっと耐えて練習してきて。大会当日も42kmを走るんだっていう強い気持ちで、朝3時に起きて小出監督の元に行って。

『今日はこのユニフォームで走ります』と言った瞬間に『高橋そこに座れ』と。

『話がある。今日はやめよう、棄権しよう』と言われた瞬間に、私は体中が震えてきて、痙攣のようになって、涙が出て止まらなかったですね」(高橋尚子さん)

 
 

試合直前になって、監督からのまさかのストップ。

ショックのあまり震えと涙が止まらなかった高橋尚子さんに、小出監督は次のような話をしたと言います。
 
 

「小出監督が、『お前は山の8合目まで来た。そこで吹雪に会った。お前の登りたい気持ちだけで登ってもみんなに心配されるし、命だってわからない。登り終えても吹雪で景色も見えない。達成感だけが残るだけなんだ』って言って」(高橋尚子さん)

 
 
選手の体調を考えた末の、苦渋の決断を下した小出監督。

選手にとっても監督にとっても苦しい決断ですが、高橋尚子さんは監督のこの言葉で、棄権を決めたと言います。
 
 

『それであれば、一旦降りよう。俺がもっと高い山に登らせてやるから』って監督が言ったんです。世界陸上より高い山はオリンピックしかないんです。

高橋尚子さんは、小出監督だったら連れてってくれるかもしれないと思えたことが、その日の棄権につながったんでしょうね。
 
 

あれがあったからこそ、シドニー五輪の金メダルがあったと今も思えますし、あの時に辞める勇気を持てたことが大きかったですね」(高橋尚子さん)

 
 

最後の決め手は、やはり「監督が言うなら」と思えるほど、二人の間に信頼関係があったことなのかもしれませんね。

トップに上り詰めたアスリートならではの感動秘話ではないかと思いました。
 
 

2000年シドニー五輪を笑顔で爽やかに快走されゴールに飛び込んだ後、

“監督、監督!”と小出監督に抱きつく満面笑顔の高橋尚子さん(Qちゃん)の姿は、金メダル以上の感動を与えてくれました。

 
 

2003年11月16日の東京国際女子マラソンで失速し、翌2004年のアテネオリンピックの出場を果たす事が出来なくなった後、2005年6月には、小出監督を離れ、某スポーツ用品メーカーと4年間の所属契約を結び、Qちゃんを中心とした「チームQ」を結成。
 
 
トレーニング等を始め、2005年11月の東京国際女子マラソンに優勝した後は、怪我に泣かされたようで、目覚しい活躍を私達に見せてくれることなく、2008年10月28日、高橋尚子さんは記者会見で引退を発表されました。
 
 
今あるのは小出監督がここまで育ててくださって、オリンピックだとか世界記録を出させてくださったということは、本当に大切な方です。

 
 
そう語る高橋尚子さんと小出監督、
そんな二人にはこんなエピソードがあったそうですよ!!

この一言が彼女の運命を変えたと著書で語られています。
 
 
その内容に深く共感したので紹介します。

あるとき、小出監督のもとに「監督はみんなを平等に指導してくれない」と訴えに行った選手がいました。

監督はこう言ったそうです。

えこひいき?

そんなの当たり前だよ。

みんなもう学生じゃないんだからね。

実業団の陸上の世界は、寮に入ったり生活時間帯が制約されたりして、

ある意味学生の延長線上にあるような管理をされた毎日です。

どんな職場でも、社会人というのは自分のことを見てもらえるように努力をするものだよ。

努力しなければ、見てはもらえない。

こっちが指導したいなと思うような選手になりなさい。

鐘だってそうだ。

打って響かなければ、もう鳴らしたくなってしまう。

打ったら響く、そういう人にならなくてはいけないよ。

そうでなかったら、俺だってえこひいきするよ。

社会人なんだから。

小出監督のその言葉は、高橋尚子さんにとって本当に革命的な言葉であったようでした。
 
 
みんな平等、そんな学生時代の当たり前の気持ちから社会人に一歩踏み出した、

そして、社会人の厳しさを教わった言葉だったのです。

引用元:高橋尚子 著 『笑顔で生きる魔法の言葉』角川書店

Sponsored Links

高橋尚子のマラソン全成績

 開催月     大会名          順位 記録     備考
1997年1月 大阪国際女子マラソン 7位 2時間31分32秒
1998年3月 名古屋国際女子マラソン 優勝 2時間25分48秒 日本最高記録(当時)
1998年12月 バンコク・アジア大会 優勝 2時間21分47秒 アジア最高記録(当時)
2000年3月 名古屋国際女子マラソン 優勝 2時間22分19秒
2000年9月 シドニーオリンピック 優勝 2時間23分14秒
2001年9月 ベルリンマラソン      優勝 2時間19分46秒 世界最高記録(当時)
2002年9月 ベルリンマラソン      優勝 2時間21分49秒
2003年11月 東京国際女子マラソン 2位 2時間27分21秒
2005年11月 東京国際女子マラソン 優勝 2時間24分39秒
2006年11月 東京国際女子マラソン 3位 2時間31分22秒
2008年3月 名古屋国際女子マラソン 27位 2時間44分18秒

関連記事
高橋尚子がアテネ五輪落選した真相とは!陸連内の権力争が原因?


\ SNSでシェアしよう! /

スタートダッシュの注目記事を受け取ろう

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

スタートダッシュの人気記事をお届けします。

  • 気に入ったらブックマーク! このエントリーをはてなブックマークに追加
  • フォローしよう!

関連記事

  • 藤原隆子の天船巻き寿司が毎日完売する秘密?マイスター工房はどこ?

  • 高橋尚子がアテネ五輪落選した真相とは!陸連内の権力争が原因?